桜の季節に思う。

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今年も春一番の風が吹き

新緑の季節を健康体で迎えることが出来そう。

その頃にはジョギングマニアの方々に紛れて、体を動かすのも好し

ビル内のフィットネスマシーンから開放されて

近くの皇居を一周すれば、益々健康維持にはなるでしょう。

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          外堀のこの辺りまでは江戸城の庭だったはず

          と云う訳で

その時代の名残があちこちに見受けられ、探索しながら散歩するのも好し。

 このシーズンを過ぎると、ジメジメとした露の到来となり

幾度となく起きる地震や台風などの自然災害が無ければ

日本列島は、四季折々の景色。それに旬の食材を満喫できる国でもあり

そう思えば、恵まれた島国であると思うのです。

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ところが、美しい四季の変化を楽しめる我が国に居ながらにして

超スピードでネットは普及、世界各国の世界遺産や見所を即座に見ることを

可能にしてくれました。

それは正しく私達の旅情を誘うことにもなるんです。

人それぞれですが歴史の浅い米国よりヨーロッパの深い歴史を紐解く方が

はるかに面白いとは思います。

もう遠い昔の思い出話となりつつある欧州旅行。思いきって出掛けてみようと

モンサンミッシェルを見学して、イタリアはベニスに寄って・・」などと

旅の疲れが感じられない旅行プランを練っておりました。しかしながら

殺戮おびただしく罪も無い人命を、いとも簡単に奪ってしまう国が出没した為

欧州旅行には身の危険を感じると答えた方は多いのです。

さて、それよりも我が国の桜の美しい事。これを観ずして欧州なんて行けません。

家の前の外堀を渡っても桜、桜。先ずは我が街に在る名所

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徒歩5分もすれば見えて来ます靖国神社の大きな鳥居。

何処の国の方々が何を言おうと、単純に今、平和で暮らせるのは

戦犯は別として

お国の為ならばと、命をかけて戦って下さった方々のおかげだと思っております。

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彼らの御霊に一礼して、またゆっくりと境内を歩きます。

境内から始まって、北の丸公園へ入ります。公園内も桜の園です。足の筋肉を鍛えるべくどんどん歩きます。

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足の筋肉つまりは、大腿四頭筋大腿二頭筋ハムストリングスと呼ばれている所。

ここさえ、バッチリ鍛えておけば老年になっても何とか遠出も出来るでしょう。

次に通るのは千鳥ヶ淵の名物ソメイヨシノやオオシマサクラ、ここは多くの外人さんも桜に見惚れながら進みます。

千鳥ヶ淵の桜はまだ8分咲きの様ですが、260本の満開時には毎年はがきやカレンダーに使われる絵になる場所。

明治31年に皇居前の英国大使館から始まって当時A・サトウ氏が千鳥ヶ淵にも広めたと聞いておりました。

夕暮れて来ましたら、今度は多少早足で神楽坂へ入ります。

登り坂がちょっとキツイなーなんて感じた頃

在りました細いビルの2Fにフグを食べさせてくれる和食のお店。

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ここは板長さんが、元は銀座に居て修行した方だそうで、和食の良さを全面的に強調なさっております。

物静かで、それでもって意気がいい方です。プライベートなお話など口にせず、一品料理を出してくれます。

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しかし、フグと云えばやはりお刺身と唐揚げが一番。レモンを絞ってバリッとかぶり付けばお酒に弱い私でも

いつの間にか即席の女オヤジに変身し、桜咲く季節ともなればの「一杯いってみようー」なんてセリフが出てしまいます。

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ああ・・なんて平和な国でしょう。毎年来る台風や、いつかは来るであろう地震の不安も有るけれど・・

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以前、日本サッカーチーム・名古屋グランパス監督を務めておられたアーセン・ベンゲル氏の名言

「日本ほど美しい国は世界中何処にも無い。日本の素晴らしさ、レベルの高さを日本の人は気付いていない」

と厳しいお言葉を発しておりました。その上こんな発言も・・・

「日本の方々が欧州に行くのは、アフリカのサバンナのライオンの群れに

行く様なもの。」なんておっしゃっておりました。

まあ、そうかも知れません、サッカ-観戦後もちゃんと自分のゴミや他人のゴミまで

片付ける高度な民度の私達ですもの。

欧州は階級社会が根付いて、「何で私が掃除しなきゃいけないの?」などと言う

民度ですから。

 欧州に行くのならA・ベンゲル監督の名言を肝に命じておくと良いのかも知れません

桜の季節に、ちょっとした教訓を思い出しながら

時には陰惨ないじめや不可解な事件も起こりますが

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空爆も紛争もない 

平和である事の有り難さをしみじみと感じるのでした。

ではまたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引越し完了・タワマンデビュー

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久しぶりの我がブログ、いったい何ヶ月お休みしていたんでしょう。

引越しは完了したけれど、高所恐怖症なのにタワーマンションに収まって

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ビュンビュンと吹く高層ビルの隙間風にも慣れて来たこの頃。

やっとブログでも開始してみようかしら・・・なんて決意を新たにしたものの

時だけが過ぎ去って行き、気が付いたらもう2月も終わりのこの頃。

テレビをONにすれば、何やら東京マラソンの真っ最中でした。

「只今、スタート致しました。」なんて言っております。で・・

そうだ、そういえば我が新居から見える大通りはマラソンコースではないか。

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ベランダ窓を全開にすると、来ました来ました。

最前列のグループが。速い事この上無し。あっと言う間に過ぎて行きました。

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何やらこの街は、以前住んでいた世田谷より遥かにイベントが楽しめそう。

飛行機はOKなのに、未だに高所が苦手な私ですが、時が経てばそこそこ慣れて

来るでしょう。

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さて、気まぐれな私の事、次回のブログは何時になる事やら。

やっぱり、本来の映画鑑賞後の感想文になりそうな気がします。

ウォーミングアップはこれ位にして。

では、またね。

 

   

 

 

 

 

 

二人のピーターとジャック。

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急な気温の変化で、三寒四温を実感のこの頃

さて先日、新宿駅の南口に行き、久しぶりに駅構内の本屋さんに目が止まりました。

そう云えばこの本、随分以前も置いてあった様な気がします。

なぜ記憶に残っていたのかって?・・

それは題名が「ピーター・フォーク」とあったからで、単純に映画好きの私の事、

以前この本を目にした時から、

この題名が脳裏を離れていなかったのです。

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ピーター自身で描いた表紙画の「Just  one  more  thing 」と題した厚めの本。

刑事ドラマの展開を考えると

「もう、ひとつお聞きします。」とでも訳しましょう。

コロンボが目をつけた容疑者にベッタリくっ付いて、しつこく質問するお得意のセリフ。

まだ、PCもケイタイも普及していない時代のストーリー、

恐縮そうで、とぼけている様で、それでいて鋭い観察力。

そんなコロンボ演じたP・フォーク。

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もう故人となってしまった彼の自伝的、厚めの本。

随分以前からこんなに人通りの多い新宿駅構内書籍なのに

誰にも見向きもされず、棚の端っこに追いやられ

時が経って、忘却のスターとなってしまったピーターが何となく気の毒で

今度、見つけたら絶対と決めていた以上、即、購入。

大衆の中に紛れ込んで目立たない、しかしその目はじっと「こいつだな」と

目を付けた容疑者の動きを見逃さずブッシュの中に潜んで獲物を見つめ

最後の猛チャージで追い詰めるチーターの様なコロンボ

しかし(超ダサイ)と言う(現代若者用語)が当てはまる彼のファッション。

チーターとは、ちょっとスマート過ぎて飛躍し過ぎかも知れません。

 コロンボの愛車フランス製プジョー。撮影所で一番ダサイ車と

自宅に在ったダサイコートを、自ら選んだそうで彼の役作りのこだわりが分かります。

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普通のミステリー話では、事件が起きると容疑者が5~6人はいて

視聴者はその中の誰が真犯人かと、あれこれ想像をする。

そんな展開であれば、最後まで観てもらえるから作者もTV局も安心で

視聴者もいったい誰が犯人なのかと、ワクワクしながら観る事が出来る。

しかし刑事コロンボは、そうは行かなくて最初の5分間で殺人犯

次の10分でその犯行手口が解ってしまうのです。

そうなると、視聴者が待つのはただ一つ、コロンボがいかに犯人を追い詰めるか。

犯人をあげる決定的瞬間までのハラハラドキドキ感をハイにさせなくてはならない。

「 この犯行から逮捕までの後の100分は、視聴者を釘付けにする演技力が必要となる。」

と、彼は説いている。

粘りこく犯人を追い詰める演技が出来るのは、彼のユニークな経歴にもあると思う。

17歳でハミルトン大学へ進学したものの

案の定、初日からのキャンパスライフに「将来の自分」を模索。たったの3ヶ月で退学。

幼い頃の病気で片目が義眼となっていた為、徴兵の対象外となり船乗りに。

船上での仕事はポークチョップを作る第3コックで

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大西洋を横断し2千人の兵士を迎えにフランスのマルセイユへ。

帰りも担当レシピはポークチョップ。これではいけないと、又、大学へ。

今度は政治学と文学を学び、演劇にも出会ったのだとか。

コネチカット州の予算管理局で効率考査官となり、デスクワーク後は劇場へ向かい

衣装を着けてアーサー・ミラーなどの作品を舞台で表現していたピーター。

ここから、彼の演劇人生がスタートした訳なのです。

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ピーターの作品。まるで、画家ドガを彷彿させる様なデッサン。

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ゴルフとデッサン力は、かなりの腕前だった。

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今でも「やぁーコロンボですが・・」なんてヨレヨレのコートで申し訳なさそうに

道の角から、現れそうな不思議な役者。

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名セリフ「うちのかみさんがねー」の

ピーターのワイフ、明るい性格。女優のシェラ。  

刑事コロンボ」にも仲良く出演。

 P・フォークとコロンボは、Wって見える錯覚を起こします。

これほど、世界中に親近感を持たせた役者も珍しい。

 今さらフォーク氏の経歴を知ったところで、どうと云う訳でもないのですが

若き時代に、こんなにユニークな経験を積んで来た事が、人を引き付け

人間味溢れる役をこなせる基礎となったのかも知れません。

晩年、彼は認知症にかかり、ハリウッドの大通りをふらついている所を撮られ

YouTubeで世界中に発信されてしまいましたが、

「今まで世界中の人達を楽しませてくれた役者ではないか!あんまりだ!」と

コロンボをこよなく愛すファンから、この心無いパパラッチは非難されたのです。

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自伝発売で嬉しそうだったピーターさん。

私、ついフっとつぶやきました。

「良い仕事しましたね。どうぞ安らかに・・」

 さて、ピーターはピーターでも、もう一人のピーターがこの方。

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名優ヘンリー・フォンダの長男、ジェーン・フォンダの弟で60~70年代に活躍した人。

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父・ヘンリー・フォンダ

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若き日の姉ジェーン・フォンダ

世にも怪奇な物語」では弟ピーターと共演しています。

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米映画「イージーライダー

相当、大昔の作品ですが名優H・フォンダの息子だと云うので

デビュー当初から注目されていましたが

イマイチぱっとしないのが、悲しき親の七光り。

こちらのピーターは、コロンボのピーターとは違い苦労知らずの、おぼっちゃま。

偉大な俳優の親を持つと、周りからのプレッシャーも、まま成らないはず。

 しかし、「イージーライダー」の制作、脚本も共演の故デニス・ホッパーと手がけ

テーマ曲「ワイルドで行こう」と共に、映画は世界中を駆け巡り大ヒット。

世界中での興行収入は6千万ドル以上となったのです。

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1965年型ハーレーダビットソンにまたがり、

カリフォルニアからニューオーリンズまでのロードムービーは当時の若者用語

(カッコイイ)その物でした。

今では、(超イケテル)なんて言うのでしょうか。

 ぱっとしなかった七光りの青年は、この作品により光輝いたのです。

 今やワシントン州コロラド州で大麻の売買を合法化した経過がある米国ですから

このストーリーの様な結末が起きても珍しく無いのかもしれません。

この作品が発表された当時は、私はまだ学生。

学業優先で、映画館などでうろつく身分でもなく友人が観て来て

開口一言「P・フォンダのまつ毛が長くてステキだったー」

との感想だけは記憶しているだけ。

 アカデミー賞受賞の父と姉には及ばなかったのが残念なピーター。

しかし、この作品でニューヨーク映画批評家賞などにノミネートされ

アメリカン・ニューシネマの代表作となり、

各賞にはノミネートで止まったものの

アメリカ国立フィルムには永久保存登録される栄誉を受けたのです。

 そこで何となしに、懐かしく「イージー・ライダー」を鑑賞。

ステッペン・ウルフのワイルド感たっぷりの軽快なリズムに、圧倒され

映画公開当時に戻った様な気がします。

 仏映画の方が好みなのですが、久々のアメリカ物は珍しくちょっと新鮮に感じます。

 こう云うストーリーの中には、必ずちょっとした変り者が出て来るのですが

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変り者に適役で、田舎の新米弁護士の役が、ジャック・ニコルソン

イージー・ライダー」に出ていた頃は、まだ痩せていて今の様なメテボでもなく

目鼻立ちがきつくて、外見からも可なり強烈な印象でした。

セリフだって、そんなに多くもないのに

主役のP・フォンダの存在を霧にまいてしまいそうな威圧感が有ります。

 尖がった眉、きつい吊り上がった目、左右に裂けた様に開く口。

この人、正にスティーブン・キングのホラー物や

ヒッチコックのミステリー物がぴったりのキャラ。

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このポスターの表情、強烈かつ睡眠障害を起こしそう。

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と思っていたら、やっぱりS・キューブリックの「シャイニング」で、キャラは本格化。

まれに見る恐怖と戦慄の世界を表現しております。はっきり言って

 ホラー物の容疑者をやらせたら、この人の右に出る方は居ないのではないでしょうか。

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 正に怪優。でも何故か憎めない、つい微笑んでしまう得なキャラの持ち主。

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彼は1937年生まれですから、現在77才のはず。アメリカンなお食事のせいか

体形はメタボそのもの、たぶん血管年齢はそれ以上ではないかしら。

彼もまた「最近はセリフ覚えが悪い」との発言があったとかで引退?との噂もチラホラ。

真実ならば、存在感の在る役者がまたスクリーンから消えて行く訳です。

フォンダやニコルソンも「自伝」を出版したら、今度は即、購入する事にしましょう。

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なんて、ふと思ったりして小春日和の映画鑑賞は終わり

二人のピーターとジャック。

「楽しませて下さって有難う。」と言いながら

時代の流れを、つくづくと感じたのでした。

ではまたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
































































STAPでSTOPする事なかれDr.小保方

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今話題の化学者のチョンボしたお蔭で、STAP細胞を知り凡人の私はいつか

この様な細胞が存在しうる可能性を感じたのですが・・

この細胞は病気の方々の希望の光なのだと云う事を、

小保方博士が一番良く御存知のはず。

だから、焦って小細工を施したのか?それとも

自身が、若くして化学者の名誉を得たかったのか。

前者も後者も、彼女の頭の中に在ったはず。

何分にも、化学には不勉強な昨今。STAPとは、いったい何なのか。

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つまり、簡単に言えばトカゲやヤモリの様な脊椎動物の尾は切られても再生可能。

そこに注目した訳で、外部の刺激によっては完全に分かれた体細胞を元に戻せるのか。

そんな、再生メカニズムを人間にも在れば、将来難病や怪我をおった方々には

大変喜ぶべき発見である訳なのですが・・

今回、小保方博士の行為により、希望が半減した訳なのです。

皆に希望を持たせた後に、「写真の上乗せ」をした事実が発覚すれば

そりゃ、誰だって失望し、腹が立つのは当然の事。

 先ずは、何故彼女がこの様な騒ぎを起こしたのか・・と云う事。

紛れも無く

原因は、先ず博士であるにもかかわらず、しては成らない細工をしたこと。

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「はっきりと、見せたかった」なんて言い訳にはなりません。

 この行為は、彼女の化学者としての

将来を封じてしまったと言っても過言ではないでしょう。

もちろん、彼女が言う様に「けして、悪気が有った訳ではない」としても

発表した時点では

心の中で、「これで、皆が納得するだろう」との期待は存在していたはず。

別の角度から言えば「上手く騙せた」とも取れるのです。

しかし、彼女はまだ若い。今がスタート地点と自覚して、今まで以上の実験に没頭すべし

と甘い点数を入れて差し上げたいのです。

多分、きつい質問への返答をお考えで登場した会見場だったと推測します。

「かっぽう着の着用」「ブランドの指輪」などの質問・・

そんな事、若い30歳そこそこの娘がお洒落でしていても、好い事。しかし今後は

国内での研究においては、周囲から何らかの嫌がらせだって覚悟の上。

出来れば、席を置いた事のある米国の研究室へ戻られ

バカンティー教授に師事なさった方がよろしいのかも知れません。

 Dr.小保方さん、あなたは、まだ若い。これからの化学者です。

信頼は無になっても、本気である所を是非、見せて頂きたい。

STAPで研究をSTOPしないで

この汚名が晴れるまで、一生かかっても

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あなたの言う細胞がいつか大量生産され、

世の中に貢献出来る日が来るまで研究し続けるのです。

ではまたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 























シリア情勢・一難去っても・・

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花粉の季節襲来と共に、さて来週にはオバマ大統領が来日なさるのでは・・

そういえば、米国もシリア情勢などの問題を抱えて大変な時代だと思うのです。

 シリアの化学兵器を廃棄にするとロシアとアメリカは同意したはず

国連安保でも、それぞれの国がシリアの恐ろしい化学薬品の処理を両国で進めるべしと

賛成を表明したし、オバマさんも大変な時期においでになる訳なのですね。

大統領だとて把握しているはず

戦争でアメリカの大勢の若者達が命を落とし、生きて帰れたとしても

彼らは戦争の恐ろしい体験からのトラウマに悩まされ、

真ともな生活が困難になったりしているのです。

だからと云って世界のPOLICEであるアメリカは手を引く訳にもいかないんですね。

アメリカが武力攻撃すれば、シリアは反撃するんでしょうし。

国際問題っていくら頭をひねっても、上手く行かないのが定めなのでしょうか。

さて、そのアメリカ、今回運輸省の海事局から輸送船の中での化学兵器処理。

700トンの化学兵器を処理するというニュース。

これは、もうただ海に漏らさず上手く行く様、祈るしかありません。

日本が手を貸すなんて無理なお話、港を護るしかないでしょう。

それで無くとも、震災の後遺症とも云う放射能問題だって今だ解決してません。

おばさん的に願うのは、いずれ戦争が終わり

シリアが「大久野島」の様になったら好いのにと思う事。

瀬戸内海に浮かぶ、戦時中は化学兵器を生産していたと言う怖い島だったのですが

今や、平和な瀬戸内海国立公園となり「ウサギ島」で有名な島。

  島の港に着けば、ウサギがお出迎えするほどのウサギの楽園。

シリアも「シリア・ウサギの国」なんて平和な時代になる様見守るしかないんでしょう。

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この方、現代のヒトラーなんて言われてますが、そう言えば良く似て来ました。

過去には、アサハラ・ショウコウなんて人も、同じ様な考えで

化学兵器を製造していました。何処の国にも同人は居るのです。

「私の意志は神の意志だ。逆らう者は皆、滅ぼす」などと

言っておりますが・・

オバマさんは、どんな御発言をなさるのでしょうか。

今回は鎌倉で抹茶アイスなど頂く暇はないでしょうね。

ではまたね。

 










素晴らしき人。

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今月もJOBの為、関西方面へ出かけました。

先月宿泊の「帝国ホテル大阪」にまたお世話になり

ホテル前の川沿いに、まだ辛うじて咲いている『ど根性桜』を観賞しながら散歩し

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今年最後の「夜桜」ならぬ「夕方桜」をフォトに納めました。

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高層階の部屋からは、そろそろ散るであろう桜を惜しみながら

お花見屋形船が、ゆっくりのんびり進んで行きました。

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今回は壁のミラーが印象深いお部屋。

 翌日おもむろに、TVをONにしましたら、ステキな女性を発見しました。

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笹本恒子さん(99)才、女性報道家。まだまだ現役で

興味の有る風景、人物を撮り続けている方。

彼女の撮った人物には歴史が有ります。

 岡本太郎ヘレン・ケラー力道山など・・

アップの表情は、お世辞でも無く70代にしか見えません。

「若さの秘訣は?」との質問には

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「何事にも好奇心を持っている事」とハキハキした口調で返答し

牛肉の赤身を、ほとんど毎日いただくのだとか。

肉食女性で百歳近くまで、ご健在とは素晴らしい方。

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そういえば、無声映画時代のスター、リリアン・ギッシュも長生きでいらした人。

80代までしっかりセリフを暗記して、最後の出演映画「8月の鯨」でも

背筋を伸ばし、さすがに動作はゆっくりでしたが、主役を務めておりました。

 しかし、リリアンは「完全菜食主義者」だったはず。

「私が、ニンジンのまるかじりを初めてしたアメリカ人よ」との名言があるほど。

菜食でも肉食であろうとも、いつまでも自分の信念を貫いて生きる人は美しいもの。

そんな素晴らしき人生を生きたいな・・と思いながら

帰りの新幹線でもウトウトと、小春日和のうたた寝をして

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「WEDGE」と「ひととき」の車内雑誌も4月号に変わり

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ホテルで頂いたプチチョコを、ペットボトルのミネラルウォーターで味わいながら

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夕方の東京駅に帰還しました。

ワイドショーを観ないこの頃、久しぶりに旅先でのTVで

素敵な人生を歩む方を拝見し、桜は散ってしまいますが

笹本さんには、まだまだお元気で咲いていて頂きたいな、と思ったのでした。

ではまたね。

 

 

 

 

 

 

 

 







名作にみる絵画界の裏。

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絵画制作から遠のいているこの頃。

周りからは「続けなさいな、才能が有るんだから」とチア・アップなお世辞を頂いたり

「将来のボケ防止にもなるわよ」と姉からのシビアな御助言を背に、

未だに筆を置いたままの状態が、永年続いているのです。

何でも、つい映画に結びつけてしまう私ですが

今回も絵画制作と云えば

ある画家の伝記もの「赤い風車」と「モンパルナスの灯」を思い浮かべます。

(フランスの赤い風車)と聞くと単に、かのムーラン・ルージュでの

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(カンカン踊り)を連想してしまいますが

 「赤い風車」とは、1952年度イギリス制作の映画、画家ロートレックの物語。

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ロートレックの役を演じているミゲル・ホセ・ファーラー。

このファーラーの従兄が、今をときめく米俳優

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第二のケイリー・グランドと呼び名も高いジョージ・クルーニー

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さて「赤い風車」と呼ばれるカフェ・ムーラン・ルージュの特等席で

トゥールーズロートレック

店の踊り子や歌手の動作をスケッチしている場面が

何度か出てきます。何時間も腰掛けたままのロートレック

親同士が貴族の濃い血縁であった結果

 幼い頃の転倒が原因で(落馬したとも言われていますが)

骨折し、回復力が弱く生涯少年の姿のままであったと云うロートレック

その為、世間からは姿を隠し、生涯絵画だけを愛し孤独に生きたと云う人物。

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 しかし、自ら隠遁生活を選んだとはいえ、「赤い風車」と云うムーランルージュには

足繁く通っていたのです。ここは、彼にとって楽園だから。

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何時間、居続けても伯爵家の彼は文句を言われる事も無く

 テーブルクロスの上に、自由にデッサンを施しても可能な待遇。

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ロートレックのテーブルには踊り子達や歌手が集い、愚痴や世間話をするのです。

しかし皆その場限りの、ひとときだけの友人。 

 御婦人達はロートレックの姿を見て、社交辞令の同情心で微笑みかけるのみ。

それが世間の常でした。

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画面一杯のリズム感。

 この絵からは、彼の辛さと悲しみが伝わって来ます。

彼の描く人物は皆、活発に動く人達ばかり、

それは自分が欲する自由自在な動作でもあり、あこがれでもあるのでしょう。

 ルイ16世・アントワネットの時代からしてみれば「十字軍」から続く有数の貴族

爵位のある彼の先祖が処刑を逃れた事は、運が良かったと言えるでしょう。

ロートレックは父がボスク城(後の博物館)、母はマルロメ城(後のワイナリー)

と云った城を所有する何不自由の無い画家。

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                          ロートレックの生家ボスク城。観光客が絶えません。

彼には見た物を即座に、自由に美的描写が出来る、

優れた感覚を兼ね備えていたのですが、父親は城の後継者としては相応しくないと

ロートレックを嫌う様になります。

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彼は自ら城を出て、ゴッホマティスそしてルノワールなど、芸術家達がたむろする

モンマルトルの住人となり孤独と戦いながら絵画に没頭し

短い人生を全うします。

そして最後まで父親との確執は消える事がなかったのです。

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 時は流れ、大戦後はモンマルトルからモンパルナスへ芸術家達は流れていくのです。

1958年度制作の映画「モンパルナスの灯」では

フランスの貴公子ジェラール・フィリップがモジリアーニを演じています。

 時代は変わりロートレックとは正反対に、イタリア出身のモジリアーニは

根っからの貧困生活を余儀なくされていた画家。

彼は、貧しいボヘミアン的な画家達、中には藤田嗣冶やS・ダリなどと

モンパルナスを拠点として活動していました。

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モジリアーニを演じたJ・フィリップ 

一緒に暮らしたジャンヌ・エビュテルヌは

映画「男と女」の美しい女優アヌーク・エーメが演じています。 

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モジリアーニの代表的な、長い顔の女。

無表情な顔ばかりで、どの作品も同じアングルが多い。

気持ちが落ち込む様な、閉じ込められた暗い画風。

モジリアーニの作品を好んで買う様な人は、極少数でした。

結局、彼の作品は没後でしか価値は上がらなかったのですが

絵画の価値、値段を確実にするのは

「これぞ」と云う絵描きを発掘する、「やり手画商」の腕次第

今でも、それは同じ事、まして目を付けて置いた画家が亡くなれば、

画商としては、儲けもの。没後は、大金持ちに高額で売りつけたりで

死にてこそ、絵画の価値が上がると云う現実は、現在も変わらない様です。

 例えば、脳梅毒の為、治療薬の副作用で総ての物が黄色に見えて

晩年は狂って、自分の耳を切ったと言うゴッホ

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黄色ばかりを基調とするこのゴッホの作品を、素晴らしいと思うのは

高額で売買が出来る魅力があるからであって

財産としては欲しいが

好みにもより、飾りたく無いと言う人もいます。人々の評価はそれぞれで一部の人には

気味が悪いと言われたこのゴッホの作品を、高額で取引される様、軌道に乗せたのも

利口な画商の策略なのでしょう。

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悪徳な画商モレルを演じたリノ・バンチュラ。

モジリアーニの死を聞き「フフ・・」と苦笑い、即、絵の値を吊り上げるのです。

この強面、正に適役 。

しかし、前代未聞の事で

ロートレックの作品は、彼が存命の内にルーブルに展示された訳ですから

それほど彼の作品は、当時としては斬新でモダンだったと言えます。

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以前、私は胡粉に溶かしたニカワを入れ、岩絵具を混ぜて

150号の日本画を制作していた時期がありました。

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 友人二人をモデルとして頼み1時間2千円でバイトをしてもらい

(良いバイト代だったと思いますけれど・・)

「じっとしててね!」が、私の口癖でした。

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ニカワに溶かした岩絵具が乾くまで、画面を床に平たく置き

時間をかけて待つ気長な作業。

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 鉛筆デッサンの次は木炭で、大画面に人物像の配置を決める。

 出来上がるまで、3ヶ月以上は経過しました。

 絵に夢中だった 当時は、まだ若くて怖い物知らず

恐れ多くも(日展)に応募し、苦い思いをした事があります。

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搬入後、審査を受ける前の段階で、後悔し自分を笑いました。

 日展、二科展、日春展その他も、学内や政界と何ら変わりはない派閥の世界、

表向きは公募ですが、現実は芸術院の会員でなくては入選不可能、

まして日展などで最高の大臣賞を取れるのは、どんなに下手でも評議員の作品のみ。

誰にも師事していない絵描きや無所属の私などの作品は

二の次に追いやられるのが、当たり前の世界。無所属一般の応募は

「公募と称しての単なる資金集め」と指摘する人もいます。

日本画の手法を習いには行きましたが、

誰に師事している訳でもない自分の立場を考えなかった

なんと云う愚かな事をしたのでしょう。

雲の上の世界をちょっと覗いただけの事だったのです。

当然の如く落選し、都美術館の裏口から搬出する時の気持ちは

後悔先に立たず、ブルー壱色そのものでした。(それも濃い色を混ぜたダークブルー)

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応募した事、それ事態が、まるで罪を犯した様な錯覚でしたが、

今となったら、もう時効としましょう。

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心ある人は言うのです。

東山魁夷だって始めての日展は入らず、落選組だったのだから

先は分からない。実のある絵は派閥には関係なく評価をしてくれる様になるまで

何度応募しても自由なんだから、負ない様に」と。

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憧れの魁夷の画『緑響く』いつ見ても癒されます。

時々、訪れる東京国立近代美術館に多く展示されております。

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胡粉を沢山使っています。胡粉の白でパステルを混ぜた様な

グラデーション効果を出しています。

 なんでこんなに美しく描けるのでしょう。

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お気に入りの場所、東京国立近代美術館

魁夷の絵だけを見ていると、「絵画界の裏」など関係ないと思いたくなります。

 100年かかっても、一般応募には難攻不落な審査でも

 健康に生きているくせに、筆を取らないのは、ただ怠けているだけ。

生涯評価されなくても、画家を貫いたモジリアーニの忍耐力を持てば 

「失敗して、また力が湧いてくるのものだよ。」と

自称、絵画音痴だと言う主人にも、励まされ

初心に戻り、また壱から始めて見るのも良いでしょう。

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私の好きな19世紀末の、最も美しい時代「ベル・エポック

その時代に生きて36才で没したロートレック

生前ルーブルに認められたと言われていますが

不憫に思った親が、裏で手を廻していた。

などの噂が、絵描き仲間では囁かれたとかで、真実であれば

政治の世界も絵画の世界も、「裏有りの奇麗事だけではない。」と思うのは当然ですが

日曜絵描きの私などは、ただ単に描くのが楽しければ、それで良いのだと思います。

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忘れていた筆を、再度握らせてくれたモダンアートの先駆者。

アンリ・ド・トゥールーズロートレックの「赤い風車」

そして(忍耐)を思い出させてくれたモジリアーニの一生「モンパルナスの灯」

描く者に力を与えてくれる名作です。

ではまたね。